自己紹介:松尾勝彦

  • 1969年9月生まれ
  • 1987年3月 地元:浮羽高校(現・究真館高校)卒業
  • 1987年4月 東京の写真専門学校入学(ひとり暮らしを始める)
  • 1989年4月 四国・徳島の写真館で5年間修行
  • 1994年4月 実家・写真の松屋勤務
  • 2007年4月 写真の松屋代表就任
  • 2014年3月 法人化:写真の松屋株式会社 代表取締役就任

趣味
片付け・貯金・読書・自転車・映画・ブログを書くこと
ホームページ制作・仕事・旅行・温泉・登山 

写真屋になることが夢の幼少期(10代)

10歳の時に、父親から「お前は、写真屋になれ!」と言われて、そのまま父親の言葉を素直に受け取り「将来、写真屋になるんだ!」と思っていました。この頃から、フイルムカメラを触っていました。そして、その頃から始めた卓球にのめり込んで行きました。

幼少期は、落ち着きがなく、忘れ物多く、頑張ってもなかなか結果が出ない子でした。そのため、自己肯定感が低く、自信の持てない子供でした。

地元の浮羽高校に入学して、勉強に励んでいました。しかしこの頃からいくつか疑問が湧いていました。
・写真屋になるのに、なぜ高校で難しい数学をするのだろうか?
・当時、卓球にハマっていましたが、練習しない他の部員を見ながら「なぜ練習しないのだろう?」と思っていました。

幼少期、数学が得意だったこともあり、高校では理系に進んでいました。写真の勉強も化学が必要だろう?と思い込んでいました。しかし高校3年生の1学期の時に、初めて進学する専門学校の入試科目を見てみると、そこには「国語・英語・面接」となっていました。そこから慌てて、文系の勉強を始めたような子でした。週8時間の数学の授業をこなすことが、とてもしんどい思いをしたことを鮮明に覚えています。

この時に、ちゃんと早いうちから受験科目を調べておくことが大事だということを学びました。

一人暮らしを始める(18歳)

晴れて、写真の専門学校に入学。18歳で東京での一人暮らしを始めます。

ここで、僕の夢(目標)は、半分叶ったわけです。
学校が中野坂上にあったので、歩いて行ける所で、安い下宿を探すとなると、西新宿になります。西新宿は高層ビルのあるところです。当時、都庁が立ち始めた時期で、都庁まで歩いて3分の所に住んでいました。新宿は、日本一の歓楽街の歌舞伎町もあり、たくさんの誘惑のある町でした。

東京で、一人暮らしを始めて驚いたのは、あまりにも自分の世界観が狭かったことを思い知らされます。高校まで、真面目に過ごしていましたが、親の管理のない一人暮らしをすることで、徐々に生活が変わり、だんだん浪費のクセを身に付けてしまいました。

現在はすべてやめることができましたが、タバコ、お酒、パチンコを覚えてしまったのは大きいです。当時は、日本もバブル絶頂期でアルバイトもしていましたので、お金もかなり持っていました。しかし、そのお金もすぐに失うような使い方をしていました。

今思えば、この頃に片付けの仕方と、貯金の仕方を教えてもらっていれば、かなりお金を貯めることができたと思っています。

写真の修業時代(20~25歳)

東京で2年間、写真の専門学校で勉強をした後に、四国・徳島の立木写真館で5年間修業しました。この会社に入社したことで、僕の夢(目標)は叶ったことになります。
今振り返ってみても、ここで過ごした5年間はとても貴重な大事な時間でした。

当時、専門学校を卒業したで苦労も何も知らないわけです。学生気分も抜けずに考えの甘い自分が、社会人になったわけです。社会人になる苦しさをここで味わいます。最初の6ヶ月間は、本当に辛く苦しいものでした。学生気分が、全く抜けなくて、苦労しました。

誰も知らない土地に来ての社会人。たまたま東京で一緒だったYくんも一緒に、この写真館で修行をしました。本当は、同期入社なので仲の良い関係であればよいのですが、一緒に入社すれば、ずっと比較され続けます。今は、仲が良いのですが入社当時は、なかなか本音で話ができない関係でした。しかも、ずっと比較されて育てられるようになり、いつしか比べない!比較しない!自分らしさを大切にすることを大事にするようになります。

この頃を辛さを表現すると、入社して2ヶ月間の電話代が月々5万円を超えていました。
今の時代は、電話代がかかることはないのですが、当時は辛く寂しくて、誰も相談相手がいないので、東京の友人(男)に毎日のように電話をしていました。しかし3ヶ月目からは、電話し無くなったので、だんだん社会人に慣れてきたのだと思います。

ここで修業した5年間で、根本から考え方を変えてもらいました。
この時に悟ったことは「他人に育ててもらうことの大切さ!」でした。親には、甘えてしまいますが、他人なら甘えられないわけです。このことは、現在行っている長男の子育てにも役に立っています。

修行中にたくさんのことを学びました。
今でこそブラック企業と呼ばれますが、当時は毎月100時間以上の残業をするのは当たり前、①先輩の技術を盗み②仕事ができるようになるまで自分で勤務時間外に技術の練習する。
そのような修業時代を過ごしてきました。良い経験です。今は、教えてもらうことが当たり前ですが、古き良き時代でした。おかげで、他人の仕事を見る(盗む)ことの目を養ってもらったと思います。

また先輩たちも厳しくて、なかなかつらい修業時代でした。
5年間の修業期間でしたが、実家に帰る日を指折り数えていました。「あと2年で帰れる!」「あと1年で帰れる!」。そんな苦しい修業時代でした。

なぜこの写真館で修業したいたのか?と言いますと、僕が10歳の時に父親に「将来、写真屋になれ!」と言われたのは、当時NHKの朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」があっていて、その番組を見ていた父親が、テレビを見ながら「ここの写真館で修業してこい!」と言ったことが始まりでした。

とても辛い修行の時期でしたが、後々考えると、この期間は後の成長には大きかったと思います。入社して毎日3年間、怒られる続けてました。

実家の写真館に帰る(26歳)

26歳の時に、徳島での5年間の修業を得て、実家に帰ってきました。
徳島では、本当に辛かったのですが、仕事の基本をみっちり鍛えてもらいました。

しかし実家に帰ってきても、自分のできる仕事がないのです。
その理由は、修行先に写真館と、実家の写真館の
①規模が違うこと
②やっている仕事内容が違う


僕の父親は、僕の将来のためにいろんな仕事ができるようになった方が我が子のためと思い、いろんな仕事をやっている写真館に修業に行かせたかったわけです。しかし当時の実家の仕事は、結婚式場の仕事が90%のお店でした。

ほとんどが土日祝祭日しか仕事がありません。
また修業先で学んでいたのは、
ブライダル・ポートレート・七五三・成人式・お宮参り・1歳の赤ちゃん・証明写真・学校アルバム・料理写真など。
ありがたいことに最新のカメラや、機材を使わせてもらっていました。

特に修業時代、頑張っていたのは学校アルバム。
その理由の1つに、経験の少ない者は、スタジオでの撮影ができず、学校アルバムの撮影で腕を磨くことでした。

しかし実家では学校アルバムをしていません。だから、ほとんど仕事らしい仕事をしていないボーっとした状態でした。そんな状態が半年続きました。

近所の方からも「写真屋さんは、どうやって食べているの?」と不思議そうに言われたことがあります。

当時のお店の状態は、土日祝祭日はお店が閉まっています。理由は、結婚式場に行って仕事をしているからです。そして平日はお客さんが来ている気配がありません。だから、近所の人からすると、写真館の仕事はどうやって食べて生活しているのか?不思議だったようです。

ひとり暮らしの習慣が抜けない(26歳)

実家に帰って来て、良かったことは、食事の心配や、洗濯をしなくてよくなったことがあります。
しかし7年間のひとり暮らしで身に付いた習慣はなかなか変えることはできませんでした。

自分でも笑ってしまう習慣は、毎日コンビニに行くこと!

この習慣を身に付けてしまっていますので、毎日 車に乗って、用もないのにコンビニに行っていました。用もないのにというとあれですが、だいたい週刊誌の漫画を立ち読みに行っていました。そして、必ずお弁当を買って帰ることが日課でした。母親が作ってくれた御飯があるにも関わらずです。

また、パチンコにも毎晩のように行っていました。地元に帰って来ても、友達も少なく、やることが毎ので、ほぼパチンコ三昧でした。全く浪費生活は変わっていません。

そんな頃に、現在パートナーの亜希子と出会いました。
亜希子との出会いは、成人式のお客様です。「キレイな人がいるなぁ~!」と父の撮影の助手をしながら、一目ぼれしてしました。初めて会った際は、声をかけることもできませんが、何と翌年に年子の妹の撮影の際に付き添いで来てくれたことがキッカケで、お付き合いするようになりました。

父との確執(27歳)

よくある話ですが、修行に行った子供と、親がケンカすることがあります。
当時は父親とはよくスタジオでケンカしていました。そりゃ当然だと思います。

当時、撮影させて頂いたお客様には、見苦しい親子ケンカを見せてしまい、とても申し訳ないと思っています。

当時のことを思い出すと、父親は、自分が苦労せずに、我が子を他人が育ててくれたわけです。父親の考えでは、一緒に楽しく仕事ができると思っていたようで、また一緒にお酒を飲むことを楽しみにしていたそうです。ただ、お酒が入ると、すぐにケンカになるので、最近まで一緒にお酒を飲むことを避けていました。

ただ子供も他人に育てられれば、価値観も大きく変わります。教わってきたことが、正しいと思います。しかし当然、修行先の決まり、習慣は違うものなので、よくケンカになりました。

この時の経験で学んだことは、
①任せたのだったら、いちいち口出ししないこと
②会社の理念(ゴールや、目標)を明確にすること
③いろんな経験をして失敗をさせること
④タイミングの良いアドバイスをすること

これらのことを改善しないと、多くの場合、親子ケンカは無くならないと思います。多分、どの業界もある話です。実際、僕のこの経験は、子育てする際に、すごく役に立っています。

「他人に育ててもらったら、その子の意見を尊重すること」。
これは子育てをしている際に、常に意識をしていることです。教わった環境も、世代も違うのですから、考え方や、意見が違っても当然なのです。

人生最大のイベントが、人生最大の危機に変わる(31歳)

写真屋になること!
それが子供の頃から持っていた夢(目標)が叶ったわけです。26歳で実家に帰って来て、父親とケンカしながら仕事をしていましたが「もうこれでやるべきことはないなぁ~!後は、レールに敷かれたまま進めば良いなぁ~!後は。結婚するくらいで、ぼちぼち行けたら良し、ぼちぼち行ける」と思っていました。25歳の頃から付き合っていた亜希子と恋愛期間6年で結婚することができました。

本当は、幸せいっぱいの状態なのですが、そうならなかったのです。

それまで、30年以上父親の代から仕事をしていた結婚式場が変な動きを始めたのです。変な動きとは、それは僕らを追い出そうとしているわけです。ちゃんと僕らの結婚式も、そこの結婚式場で開催するのも関わらず、いろいろ難題を言ってくるようになるのです。

そこの結婚式場で仕事をすることも、だんだん嫌になり、「撤退しよう!」という話が家族の中で出てきます。しかし僕は、当時うちの会社の売上の7割を占める結婚式場を出て行くことに、かなり躊躇があります。理由は、結婚式場の仕事をやめることで、どうやって生活することができるのか?わからなかったからです。

当時、亜希子の両親にも「うちは結婚式場の仕事があるので、安泰です!」と言って、結婚を許してもらったのに、まさか自分たちの結婚式が終わったら、その結婚式場からの仕事が無くなることになるとは、夢にも思っていませんでした。

そして結婚式が終わって、新婚旅行に行っている間に、30年間お世話になった結婚式場から機材を撤去することになります。そのこともあり、新婚旅行中は全く楽しめることができませんでした。新婚旅行中も、亜希子にはこのことを話すことができずに黙っていました。

新婚旅行から帰り、急いでこの真相を両親に聞きます。そして、撤退したことを知り、不安な気持ちになります。「これから、どうやって暮らしたら良いのだろうか?」

数日後、ことの真相を亜希子に話をします。
そして亜希子から言われた言葉は
「よかったね!これから自由に仕事ができるね!」という言葉でした。

その言葉を聞いて、何て気楽なのか?能天気なのか?と思ってしまいましたが、結果的に「本当によかったね!」となるまでには、15年以上経ってからでした。

そして、さらなる試練が待っているわけです。

さらに窮地に追い込まれ崖っぷちに(32歳)

結婚式が終わり、新婚旅行から帰っても仕事がないので、本当に堕落した生活をしていました。
ただ救いは、亜希子が結婚式場をやめたことを前向きに捉えてくれたことでした。

そんな時に、さらに窮地に追い込まれることになります。
それは、3月に作った入学記念のチラシ広告でした。
当店が作ったチラシ広告を、1ヶ月後にそっくり真似たチラシ広告を新聞折り込みに入れて来られたわけです。相手は、僕らを追い出した結婚式場でした。しかも、毎回 うちの価格より1,000円安く提示して来ます。

「正直、そこまでするのか!」と思いました。
「このままでは、潰される!」と感じたわけです。

完全に崖っぷちに追い込まれた状態。しかし、どうして良いのか?わかりません。打つ手がないのです。

でも、この時の面白い体験をします。
それは、人は追い込まれると、後がないので、前に1歩出ることを選択するのです。

当時は、先ほども書きましたが、目の前が真っ暗で先の見えない状態。しかも堕落した状態だったわけです。多分、今思えば、そのチラシの事件が無かったら、相手から嫌がらせを受けなかった方が、自分で潰れて行ったと思います。しかし、あのチラシのおかげで、「このままでは、ヤバい!」と思うようになり、逆に魂のスイッチが入ったわけです。

そして出てきた目標は「マネのされないお店になること」。
そのためには、
①富士フイルム主催の営業写真コンテストで、上位入賞をして、東京・帝国ホテルで表彰されること
②写真の仕事で、テレビ取材を受けること

この2つを目標にして、一生懸命 写真の勉強をしました。

「そうすれば、お客様も来てくれる!」と思ったのです。

そして2004年9月に目標のしていた2つの目標が同時に叶うことになりました。

第1回 天使のあしあと写真展開催(33歳)

人って!面白いのが、窮地に追い込まれると、それまで堕落した生活をしていたのに、変われることを経験しました。今思えば、甘えていたのだと思います。

マネされるチラシを作られるなら、マネされないお店になればよい!
と考えたわけです。相手ができないことは何だろう?

そこで考えたのが、当時まだ全国でも珍しかった子供たちの撮影を野外でやることでした。浮羽の地の利を活かした写真が撮れないだろうか?と考えたわけです。

そしてもう1つ、写真展をやりたい!と思うようになりました。
写真展をして、たくさんの人に写真を見てもらえれば、写真の違いが分かってもらえるのでは?と考えたわけです。

最初の写真展を開催したのは2003年。
写真展の名前は「天使のあしあと写真展」

※今年も第20回 天使のあしあと写真展を開催します。4月1日から、参加モデルさん(平成28年4月2日生まれ〜令和4年4月1日生まれのお子さん対象)を募集します。思い出に残る撮影をしています。

「写真展をやりたい!」と思っても、展示させてもらえるモデルさんを集めなければなりません。
展示することになると、ある程度の数は必要になります。モデルさんの数は40組。モデルさんの対象年齢は5ヵ月~24ヶ月のお子さんまで。

モデルを集めることに苦労しました。
①初めてのことなので、説明が難しかったこと
②5ヵ月~24ヶ月のお子さんが、当時まだ写真館で写真を撮る機会が

そして、第2回天使のあしあと写真展(2004年)の時に奇跡が起こります。
それは、目標にしていた2つの目標が叶ったことでした。

①富士フイルム主催の営業写真コンテストで、上位入賞をして、東京・帝国ホテルで表彰されること
②写真の仕事で、テレビ取材を受けること


まさか、2つ同時に叶うとは思いません。本当に嬉しかったです。
写真を必死に頑張ってきたことを認めてもらえたわけです。

「これで、写真館に来てくれるお客様が増えるのでは?」と甘い期待をしていたのですが、しかし思ったよりお客様の来店が増えることはありませんでした。そして、結婚式場からは、ずっと嫌がらせのチラシを毎月蒔かれている状態でした。

そんな時に、救世主が現れたわけです。

試練がある時、人生の師匠が現れる(34歳)

2004年の9月に、目標だった
①富士フイルム主催の営業写真コンテストで、上位入賞をして、東京・帝国ホテルで表彰されること
②写真の仕事で、テレビ取材を受けること

が叶ったわけです。

この目標が叶えば、お客様が来てくれると思っていました。マスコミに取り上げられたら、知名度も上がると思ったからです。しかしテレビに取り上げられても、前年と比較しても、ほとんどお客様の数は変わらないのです。

どうやったら、お客様は写真館に来てくれるのだろ?

当時、写真の勉強以外に、ビジネス書も多数読んでいました。
商売のやり方の勉強もしないといけないと思ったからです。

そんな時に、知り合いから1冊の本を紹介されます。
その本を読んで、すごく感銘を受けて、その著者が書かれている本を、全部読んでいました。しかし、万策が尽きてしまい、著者の勉強会に入会することにしました。時は2004年12月のことです。

目標が叶って、4か月後に、次の行動にうって出たわけです。

著者と実際にお会いして驚いたのは、僕の仕事観と全く逆だったことです。

当時の僕の仕事観は
「仕事は、大変だからお金がもらえる。だから大変で、めんどくさい仕事がお金になる。だから仕事は嫌なのが当たり前。仕事とは別に、自分の趣味を持って、趣味を楽しむ!」と思っていました。

しかし、著者から言われたことは
「仕事とは、お客様を喜ばせること。目の前のお客様を喜ばせる。そのためには何をしたらよいか?常に考えること。そうすれば、仕事が楽しくなり、仕事しているのか?遊んでいるのか?わからなくなる!」と言われました。

同じ仕事をするでも、全く考えが逆なのです。現在も師匠に学んだ考え方で仕事を行っています。本当に、仕事が楽しくなります。このお話は、子供達にも伝えてあげたいことです。

この方を人生の師匠として、一生懸命学び、実践を始みると、1年半で売上が1.5倍になりました。念願だった、お客様がたくさん来てくれるようになりました。ちなみに僕の人生の師匠は、ワクワク系マーケティング実践会を主催している小阪裕司氏です。

この時に思いました。
試練がある時に、必ず救世主は現れる!

これは、まさしく映画の作り方と同じです。だいたいの映画も、
①平凡な主人公が事件に巻き込まれる
②救世主が現れる
③救世主の指導を受ける
④強敵が現れ、一度負ける
⑤再度、救世主から学ぶ
⑥再度、強敵と戦い、最後は勝つ


大体の映画がこのような流れだと思います。
だから、僕もこの映画の例えの流れに置き換えると③救世主の指導を受けるまで来ていたと思います。

ちなみに、僕の好きな映画の1つが、ロードオブザリングです。
この映画を見ると、当時の苦しかった時と重なります。映画の主人公のフロイドも、映画の中で試練に耐え、成長していく姿が、僕の励みにもなりました。

しかし人生面白いもので、神様はいろんな所に、課題を用意します。
この後、④強敵が現れ、一度負けるが起こります。

人生の師匠から学んだ大事なこと(35歳)

人生の師匠には、今も学び続けています。
もう18年も学んでいます。師匠のすごい所は、先見性のある所です。師匠の言葉を聞きながら、未来に対して準備ができることになります。

また師匠は、人の行動の専門家で、博士号も持ってあります。
そのため、人の行動分析にすごく長けてある方です。

例えば、人は「ムダなこと!」とわかっていても、ムダなことをしてしまいます。
例えば、タバコなど
①体に悪い
②お金のムダ
③周りの人にも害がある

これらのことがわかって行っても、タバコを吸う人は吸ってしまいます。
このように、一見 矛盾をしていることでも、人は知らず知らずのうちにやってしまいます。
「わかっちゃいるけど、辞められない!」みたいな感じです。

師匠から学んでとても良かったこと、それは行動の分解ができるようになったことです。

例えば、僕と師匠との出会いは「お客様を増やしたい!」という僕の願いがそうさせたわけです。例えば、僕が広告チラシを作って、新聞広告に入れました。その際に、全く反応がないとします。

そうすると
①チラシに魅力がない、または目立たない
②チラシの内容がわかりにくい
③チラシに電話番号がない
④チラシに地図がない
⑤チラシを入れた曜日が悪い
⑥ライバル店もチラシを入れていた!

など、反応がないということでも、いろんな原因が考えられるわけです。

しかし、こういう知識を知らないと「1回くらい蒔いたくらいでは反応はありません。続けて、何回もチラシを撒きましょう!」と広告業者の方は言ってきます。そして、広告業者はさらに仕事がもらえるわけです。

しかし、1つ1つお客様の行動を見て、反応を確かめてみると、何が悪かったのか?がわかって来ます。

実は、この話は、宣伝広告に限った話ではないのです。実は、師匠の考え方を仕事や子育てに、さらに片付けにも役に立てています。その理由は、「全ての営みは、人の行動だから!」と師匠から教わっています。

僕の師匠は、人の行動の研究者です。
①人はなぜ行動するのか?
②人は何に反応するのか?

を研究している人です。その研究を応用して、マーケティング理論を構築されています。 

僕は、この考え方に深く感銘をしました。
なぜなら、この考え方はみんなが幸せにする考え方だと思ったからです。

僕は、この師匠の考え方を応用して子育てや、片付けに応用しています。
子育ての際には、子供がやる気になる声掛けを心掛けています。
おかげで、子育てが楽です。

片付けでの応用では、モノが溜まるのには理由があります。その原因を改善すると、モノが溜まらなくなり、片付けがスムーズになります。片付けで、モノが溜まりやすい場所は、めんどくさい場所だったりします。めんどくくさいと、どうしても人の行動が止まってしまうのです。そうすると、自然とモノが溜まって、怒られるようになります。

僕も幼少期から
①「やる気があるのか!」
②「もっと頑張れ!」
③「一生懸命やりなさい!」
④「もっと気合を入れろ!」

などなど、これらの言葉をたくさん浴びてきました。

でも、師匠の考え方を知ると、これらの言葉を使わないでも、スムーズに行動できるようになります。片付けも、流れができれば、動き始まます。僕は、子育ても同じだと思います。

僕が師匠の考え(行動の分解)を知った際に驚いた話を書いてみたいと思います。

師匠から「目の前のコップの水を飲むためには、いくつの工程があるか?考えてみて!」と言われました。
普通、そんなこと考えたことがないのですが、改めて考えてみると
①コップを見る
②右手を伸ばす
③右手を広げてコップを握る
④コップを持ち上げて、口元まで持ってくる
⑤口を開けて、首を後ろに倒し、手に持ったコップを水がこぼれないように傾ける
⑥水を口に入れ、水を飲む
このような動きを簡単に書いてみましたが起こっているわけです。これが行動の分解です。本当は、もっと細かく指の動きや、関節の動きなども加えると、100くらいの工程に行動を分解できると思います。
実際、これらの知識は、ロボットを作る際に役に立つと思います。

人の行動を見ていて面白いのが、先ほどのコップに水を飲む場面で、
③右手を広げてコップを握る→④コップを持ち上げて、口元まで持ってくる所で、コップを握って、すぐ手を放して、口元まで持っていかなかったら、みなさんどのように思われるでしょう?

幼少期の僕が言われたみたいに
①「やる気があるのか!」
②「もっと頑張れ!」
③「一生懸命やりなさい!」
④「もっと気合を入れろ!」

などと言うでしょうか?

人は面白いもので、無意識のうちに③右手を広げてコップを握る際に、手で温度を測ることができるのです。もし飲み頃の温度でなければ、コップを持つことはしません。お酒を飲む方だったら缶ビールを想像するとわかりやすいと思います。

実は、子育てでも同じようなことが起きています。
子供が行動しないのには、理由があります。その理由を大人が見つけてあげると、お互いに楽です。しかし多くの場合、大人の視点でモノを見てし合うので、子供が行動しない理由をどうしても、僕が幼少期に言われていた言葉
①「やる気があるのか!」
②「もっと頑張れ!」
③「一生懸命やりなさい!」
④「もっと気合を入れろ!」

などと言ってしまいます。

子どもと一緒にいると、当たり前のことが当たり前でないことがわかります。
例えば時計です。

時計の「3」の数字を見て、僕らは15分と理解するわけです。
しかし、子供たちからすると「3」は「3」なのです。だから最初、大人が言っている意味が分からないと思うのです。僕ら大人は、時計を見ると自然に掛け算したり、3は15と暗記しているわけです。

このように考えると、子供たちと、僕ら大人の視点が大きく違うことがわかります。師匠から教わった「行動の分解」を知っておくと、子供が止まった理由が手に取るようにわかるようになります。

子供の止まった理由を、大人が改善してあげることで、できるようになれば、子供たちも自信が付くはずです。まだ子供では、できない理由がわかりません。

改善のイメージは、できない時は、高いハードルがある時と思うと良いと思います。高くてハードルと超えることができませんが、緩やかなスロープを作ってあげることで、誰でも簡単にできるようになるのです。この応用は、片付けをはじめとする多くのことで使えます。

①なぜ行動が止まったのか?
②どこまでできたのか?
③何に障害を感じるのか?
意外と、大人でも気付くことができないことを、僕は師匠から教わったので、とても楽になりました。

さらなる試練が待っていた!(38歳)

人生の師匠の下で学んで、実践したことで、お陰様でお客様が来てくれるようになりました。

本当に嬉しかった!
当時、チラシを撒くと、朝からずっと電話が鳴りっぱなしの状態を経験します。

まさか!こんなこと(急にお客様が来てくれること)が起こるとは、想像をしていません。準備も何もしていないので、作業はパンク状態です。当時、あまり考えてなかったことがあります。それは、人を育てることです。
ただ人を育てることに自信を持っていました。その理由は、当時9年間、一緒に働いてくれていたスタッフがいたから、僕は人を育てるのが上手い!と勝手に思い込んでいました。だから、お客様が急に気出したので、急ぎ求人をして、感じの良さそうな人を採用しました。しかし、これが本当にいけなかったわけです。

当時、僕は36才。写真の勉強しかしたことがありません。お店の中も、時代の流れでフイルムカメラから、デジタルカメラに変わり始めていました。何でも一緒になってしまった2006年でした。そして痛かったのは、それまで手伝ってくれていた両親が、デジタル化することで仕事ができなくなったことです。そのため、新人スタッフに目が届かないわけです。


忙しくなることを願っていたことなので、嬉しかったのですが、誤算だったのは人財でした。
「忙しくなれば、人を雇えば良い!」と簡単に思っていたことです。
簡単に人を雇えば、自分が楽になると思っていました。しかし実態は、これの逆で人を雇えば、教えるための時間に取られてしまい、さらに自分たちが忙しくなりました。

そして採用したスタッフが、会社の意図をわかってもらえず、結果的にあるスタッフ1名がスタッフを全員引き連れてやめて行きました。退社するスタッフの中には、9年間、苦しい時も一緒に乗り越えてくれたスタッフもいたので、とても辛い気持ちになります。結果的に2006年から5年間で、20名のスタッフが入れ替わることになります。

かなりもお金と、時間をムダに使ったことになります。教えても、育たなかったのですから。

そして教わったことは、1度崩れたスタッフを再構築するには、小さな会社の場合、かなりの時間がかかることでした。

スタッフが20名入れ替わることで学んだこと(39歳)

念願だったお客様が来てくれる写真館になったわけです。
しかし、お客様が来てくれるようになっても、設備や、システム、スタッフの数は以前のままです。しかし会社の中は、デジタル化の波に押されて、慣れないシステムに変わりつつありました。

そんな時に考えることは
忙しければ、スタッフを増やせば良い!
今思うと、ゾッとする発想ですが、何も知らない当時はこれで良いと思っていました。

しかし、実際スタッフさんを増やしても、忙しくなるのは自分たちだけ。
自分たちが楽になるために補充をしたのに、スタッフさんに仕事を教えるために自分たちの時間が取られる。自分たちの時間が取られるから、さらに仕事が溜まる。このような循環でした。

しかし、せっかく採用しても、スタッフさんが長く働いてくれません。
結果的に、5年間で20名のスタッフさんが入れ替わったことになります。
この間、①求人→②面接→③育成→①求人→②面接→③育成のずっと繰り返しでした。

当時思っていたのは
どうしてちゃんと働いてくれないのだろう?
自分のことは棚に上げて、スタッフさんのせいにしていました。

いろんな先輩に相談しました。
でも言われるのは「お前の性格が悪いから、スタッフが続かないのだろう!」などと言う人もいました。相談するたびに、凹みました。

そんな状況から、いろんなことを勉強しました。
この時に勉強したことで、良かったことは①コーチングでした。

コーチングは、人のやる気を引き出す手法です。当時は、あまり役に立っていませんが、現在は子育てにとても役に立っています。コーチングの手法を子育てに使うと、子供がやる気になってくれます。

また、
②求人の仕方を変えました
③面接の仕方を変えました


そして、劇的に変えてくれたのは④片付けを学んだことでした。
片付けで、業務改善をしました。

当時と、現在では、スタッフさんの休日数は、約60日も違っています。約2ヶ月休みを増やしたわけです。当時は年間80日の休みもなかったと思います。現在は、年間130日の休みをスタッフさんに取ってもらうようにしています。しかも、残業はほぼゼロです。

そのおかげで、スタッフさんが退社し無くなり、この5年間 求人も面接もしなくてよくなりました。しかも、スタッフの能力が上がり、仕事の質が上がり、僕自体が新しい仕事ができるようになってきたわけです。

片付けができるようになる(40歳)

たくさんお客様が来てくれるようになり、忙しくなったので、何も考えずに求人をしてしまったことが原因で、大量のスタッフさんが辞め行くことになりました。しかし、このことが当時は苦しかったのですが、後から転機していきます。

当時、いけなかったことは、忙しいのは当たり前!もっと頑張れば、必ず報われて、楽になると思い込んでいたことでした。

そんなどん底の時に、商工会の指導員さんから誘ってもらった片付けの勉強会。
勉強会の正式名称は、サービス生産性向上の勉強会。

内容は、工場の5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)の考え方を、サービス業に応用する考え方です。講師の内藤先生曰く「これからのサービス業は、接客に時間を使うことになるので、作業を効率化することが大事!」と言う考え方でした。

ススメてくれた商工会の指導員さんは、いつも良い勉強会を開催されるので、いつも気軽に参加させてもらっていました。しかし今回ばかりは、忙しくて時間がないのに、なぜ片付けの勉強をすべきなのか?理解できずに、言われるまま参加してみました。当時の僕は、片付けが苦手でできていませんでした。子供の頃から、全くできないのです。

そうすると、目から鱗で、今までの仕事の価値観が大きく変わりました。
それまでは、忙しいのは当たり前!と思っていましたが、勉強会を受けてみて「片付けができていないから、忙しいこと」に気付き、社内をコツコツ改善していきました。

この時に強くイメージしたことは
片付けができたら、作業効率が上がれば、スタッフさんもやめなくなる!ということでした。

ただでさえ忙しいのに、さらに片付けをして、忙しくなるわけです。
さらに片付けには、反対勢力もいます。しかし心が折れそうになっても片付けができたら、作業効率が上がれば、スタッフさんもやめなくなる!という信念も持って社内改善に努めました。

結果的に、現在はスタッフさんの休みを年130日(当時は、年間80日の休み)。しかも、残業なしにできるようになりました。
おかげで、スタッフさんが辞めなくなり、結果 勤務期間が長くなれば仕事の質が上がり、新しい仕事ができるようになります。今あるのも、あの時に片付けの勉強会に誘ってくれた指導員さんのおかげだと思っています。

まさか?片付けで人生が変わるとは、このことでした。

おかげで、現在の僕の趣味は片付け貯金です。
片付けは「科学」です。科学なので、片付けは教われば、再現性があり、誰でもできるようになります。片付けが面白くなり、片付けを研究するようになります。現在は、整理整頓アドバイザーの資格を持つようになりました。

片付けができるようになると、
①時間ができる
②お金が貯まる

これらが起こって来ます。あれだけ「忙しい!忙しい!お金が無い!」と言っていたのが、そうならなくなると、今度は、不安になります。この不安の理由は、忙しいことが当たり前!と思っているので、それが無くなることの不安です。今までの当たり前が、無くなるので、不安になっても仕方がないのです。しかも、それが正しいのか?そうでないのかわからないのですから、不安になるのは当然だったわけです。

僕も片付けで人生が大きく変わったのですが、今度は「なぜ片付けで人生が変わるのか?」知りたくなりました。
よく言うでしょう!「片付けで人生が変わった!」という話。

片付けには、人生を変える力があります。

何が変わかるのか?
①お金が貯まる
②時間ができる
③気分がよくなる

これらが一般的なのですが、さらに
④自分との会話の時間ができる
⑤自分にとって大切なモノが見つかる
⑥自分の夢と、生きる目標が見つかる

これらが見つかるのです。

そのことを教えてくれたのが、スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」でした。しかし「7つの習慣」を学ぶのは、片付けを始めてから、少し時間が経ってからになります。

経営者を目指す(44歳)

5年間で20名のスタッフが退社した際に、感じたことは、自分の実力の無さでした。
それまで、写真の勉強しかしてこなかったわけで、写真を綺麗に撮ることは知っています。だから仕方がないことなのですが、しかし会社を経営するためには、それだけではいけないことを痛感しました。

会社を経営するためには4つの知識が必要です。
①商品作り(何を販売するのか?)
②集客(マーケティング)
③組織(リーダーシップ)
④財務(お金の流れ)

このようなことが会社を経営するには必要です。

しかし日本では①商品作りのことを教えてくれる学校はあるのですが、②集客(どのようにお客様を集めるのか?)
③組織(リーダーシップ)④財務(お金の流れ)を教えてくれる場所がないのです。多くの経営者が手探りで勉強している状態です。

幸い集客に関しましては、35歳の時に、人生の師匠から「お客様を喜ばせること!」と教わり、実践していましたので、集客にはそこまで問題を感じていなく、しかしその他の③組織(リーダーシップ)④財務(お金の流れ)は、全く知らない状態でした。

特に、この頃のエピソードで、悔しい思いをしたのは、当時お願いしていた税理士さんから「そんなことも知らないのですか?だから、ダメなんです!」と言われるとても悔しい思いをしました。一生懸命、写真の勉強をしてきたのに、それだけではダメだということを、この時に思い知らされました。いつか?この税理士さんを見返してやりたい!と、辛く唇を嚙み締めた思い出があります。

面白いもので44歳の時に、たまたま経営が学べる福岡県中小企業家 同友会に入会を誘ってもらいました。経営の勉強を始めす。入会して、自分に特に足りないと感じたのは①10年ビジョン(先を見通す力)と②財務の知識でした。

そんな折に「松尾くん!一緒に財務の勉強をしようか!」と誘ってくれたのが、同友会の先輩経営者。その方と一緒に同友会の中で、財務の勉強会を立ち上げました。そして財務の知識を学んだことで、苦手だった①損益計算書や②貸借対照表を見ることが好きになりました。

おかげで、税理士さんとも対等に話ができるようになれ、とても良かったと思います。
ただ財務の勉強期間は5年間。かなりの時間を要しました。財務を理解し、実践して、自分のモノに実を付けるには、時間がかかります。財務は早く学んだ方が、ムダがないわけです。結果的に、ここで学んだ知識はお小遣いにも良い影響を受け、いつの間にか浪費体質からお金が貯められる体質に変わって来ました。

この同友会では、支部長までさせてもらうことができて、組織運営者、リーダーシップ(チームワーク)の勉強もさせてもらうことができました。ただ同友会を8年で退会します。その理由は、僕はお金を稼ぐ経営者より、カメラマン(職人・アーティスト)の方が合っている気がしたからです。

ただ、どうせ将来、経営者になる(跡を継ぐ)ということがわかっているのであれば、30代で経営の勉強をすべきだった!と思います。そうすれば40代の体力もバリバリの時に、スタッフを巻き込んで良いチームを作れると思います。特に、今のような時代の変化のスピードの速い時代には、経営感覚を持っていないと変化ができないと思います。僕は、正直 経営を学ぶことが10年遅かった!と思っています。

財務や、リーダーシップに関しましては、これらの知識は10代に身に付けることができます。財務は、高校で商業科に行けば簿記が学べます。またリーダーシップや組織(チームワーク)の勉強は、遊びや部活で学ぶことができます。そう思うと、10代の過ごし方がとても大事な気がしています。特にリーダーシップや、チームワークは学ぶモノではなく、体験するものだと思います。そんなことを、全く考えず、目的も持たずに過ごした10代が、少々勿体ない気がしています。

「7つの習慣」が教えてくれたこと(46歳)

40歳の時に片付けを学び、コツコツ片付けをしていくのですが、面白いことに
①時間ができる
②お金が貯まる

これらの現象が起こって来ます。

あれだけ、ずっと「忙しい!」「お金が無い!」と物心ついた時から過ごしていますので、徐々にお金や時間ができるようになると、不思議なことに素直に受け入れられないものです。

当時は、1年間に4,200時間を目標に仕事をしていました。ちなみに普通のサラリーマンで年間1,800時間と言われていますので、普通の人の約2倍の時間仕事をしていました。それくらいしないと、ダメなんだ!と思っていました。

計算してみると、休みを年に5日として、4200時間÷360日=11.66時間。
約12時間は仕事をしていました。現在は、それでも仕事が好きなので、3,000時間は仕事をしていると思います。でも実際は、仕事をしながら遊んでいるのですが・・・・・。

ただ1日12時間以上仕事をしていましたので、急に時間ができると、落ち着かないわけです。
そして、時間やお金ができることのよって、だんだん
①不安になる
②罪悪感を感じる

このような感じになるのです。
今思えば、人は不思議なもので、思った通り(イメージ通り)にならないと、良いことが起こっていても不安になること。僕はここでジッとが我慢できたから良かったと思います。

この不安を解消するために思いついたのは、成功者のバイブルと言われる「7つの習慣」の本を読んでみたくなりました。「7つの習慣」の本は、アメリカ人のスティーブン・R・コヴィー氏が、アメリカの過去200年の成功者の文献を調べて見つけた成功者が行っていた7つの習慣のお話が書かれた本です。もう30年以上前の本なのです。

僕も何度か?この本にトライするのですが、
①本が分厚いので、心が折れる
②和訳なので、意味が分かりにくい
③精神の話なので、解釈が難しい

などの点があり、何度も読んでは、同じ所で挫折していました。
しかし現在、オーディオブックがあり、音声で本を読み上げながら読む方法ができるので、それを使って読むことができました。

おかげで、なぜ片付けすると多くの方の人生がかわるのか?の理由がわかります。
それは、「7つの習慣」に出てくる第3の習慣:最優先順位を優先するの中の「緊急で、重要でないこと」を優先することが大事だということでした。
いわゆる、後回しにしやすいことを、先にやることです。

多くの場合は「緊急で、重要こと」を優先します。
しかし大事なのは「緊急で、重要なこと」の原因は、「緊急で、重要でないこと」を後回しにしまうからです。

そのため「緊急で、重要でないこと」を先に行えば、「緊急で、重要でないこと」が起こらない。または減って行きますです。

当店が変わった理由も、まず片付けを行うことで、作業効率が上がりました。一番、効果が出るのが探し物が無くなります。作業効率が上がることで、残業が減り、休みを増やすことができました。

そうすると、スタッフさんが辞めなくなり、長い期間働いてくれれば、教えるため時間を取られなくなります。スタッフさんが仕事を覚えて、自分で考えて行動できるようになってくれれば、さらに上のレベルの自分たちの仕事を渡すことも可能です。自分たちの仕事が渡せるようになれば、自分たちがさらに上のレベルの仕事ができるようになり、お客様が喜んでくれるようになります。片付けのおかげで、この循環ができるようになったわけです。

そのことを知ると、今度は「7つの習慣」に興味を持ちだし、学び始め、さらに実践するようになります。

スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」のの内容は
第1の習慣:主体的である
第2の習慣:終わりを思い描くことから始める
第3の習慣:最優先事項を優先する
第4の習慣:Win-Winで考える
第5の習慣:まず理解に徹してから、そして理解される
第6の習慣:シナジーを創り出す
第7の習慣:刃を研ぐ

この7個の習慣で構成されています。

第1の習慣から第3の習慣が、自分作り
第4の習慣から第6の習慣は、相手との関係作り
第7の習慣が、日々の行動を表しています。

「7つの習慣」では、まず自立を大事にします。
そして、自立から、相互依存の関係に移ります。

特に大事なのは、自立をすること。
そのためには、第1の習慣~第3の習慣を身に付けることが大事になります。
自立をした状態で、相手と関係性を持つことを大事だと言っています。

依存→自立→相互依存

しかし僕らは、幼少期から相手に合わせることを優先するように教えられています。
そしれ、その弊害が自分のやりたいことを見つけることができない方が多くなります。例えば、自分の夢が明確になれば、友達が減ります。反対に、友達が多いと、自分の夢や目標が持てなくなる矛盾が生じます。

自分のやりがいや、目標を見つけることができれば、結果 勉強をすることが楽しくなります。しかし、相手に合わせることを優先すれば、自然と自分の夢や目標を諦めてしまう。または自分の夢や目標を持たなくなることになります。

そして、自分の目標が明確にないまま、相手に合わせると、結果的に依存状態になり、シナジーを創ることができずに、妥協案になってしまうことが多いわけです。

僕は、片付けのおかげで「7つの習慣」を勉強したのですが、「7つの習慣」を実践して行くと、今までうまく行かなかったことが、好転し始めています。3年前には、僕は30年毎日飲んでいたお酒を飲むのをやめました。

お酒をやめたことを、人に言うと、とても褒められます。過去、いろんなことを頑張って来ましたが、一番お酒をやめたことが褒められます。きっとその理由は、お酒をやめることが多くの方が難しいからだと思います。

「7つの習慣」を学んだことで、実は習慣を変えるが簡単になるとまでは言いませんが、できるようになります。習慣は、日々の行動の結果になり、日々の行動は、普段の考え方からきます。

まず普段の考え方から変えることで、行動が変わり、習慣になります。
実際過去に、お酒以外に、タバコ、パチンコがあります。また浪費生活から、貯金生活に変えた経験があります。そして昨年11月2日から、毎日ランニングを始めることができました。

ここで、「7つの習慣」を利用して、どのように習慣を変えたのか?書いてみたいと思います。自分の習慣を変えるために必要なのは、「7つの習慣」の中の第2の習慣:終わりを思い描くことから始めるを利用します。

それを始める。またはそれを辞めることで、近い将来、何が起こるのか?を強くイメージします。そして、達成した際に、周りからどんな声をかけてもらっているのか?また自分が達成した際に何を言っているのか?をイメージするわけです。

例えば、僕の場合でいうと片付けでは、「片付けができると、社内が効率化でき、スタッフが辞めなくなる!」とイメージしました。その際、スタッフからは喜ばれて、お客様からも喜ばれているイメージをしました。

そして、次に行動です。行動する際に、イメージしたのは「7つの習慣」の第3の習慣:最優先事項を優先するの中の「緊急でない、重要なこと」を優先することを意識します。いわゆる「後回しにしやすいことを、先にやる」です。僕の片付けの場合、毎朝15分間、ゴミ袋を持って捨てる活動をしていました。今思えば、この15分の活動が良かったと思います。なぜなら、15分とは1日の1%にあたるからです。1日の1%を投資に回すか?どうか意識するだけで、人生が好転する経験をここでします。おかげで行動を起こす際は、頭の中に時間軸のマトリックスが出てきて、この活動は何領域か?を考えるようになりました。なるべく「緊急でない、重要なこと」を優先するようにします。

しかし、人間ですので、気持ちが折れることがあります。
そんな時に「7つの習慣」の第1の習慣:主体的になるを思い出すのです。最初は新しい良い習慣を身に付けようとしても、苦しいです。面白いもので、習慣は、すぐに身に付きます。しかし良い習慣は、意識しないと身に付かないのです。しかし、身に付くと継続しやすくて、最初は苦しかったことでも、慣れてくると、今度は「やらないと、気持ちが悪い!」と言うようになります。

良い習慣の典型は、歯磨きです。歯磨きは、しないと気持ち悪くなります。このように、慣れないことを続けるためには、自分を主体的に持っていく必要があります。そのためには、自分との約束をするわけです。自分との約束を守ることを続けていると、いつの間にか?自分を律することができ、流されなくなります。当然、苦しいこともあります。そんな時は、第2の習慣:終わりを思い描くことから始めるを思い出し、達成した時のイメージ、周りからの声をイメージしながら、コツコツ続けていくわけです。

習慣なので、すぐに身に付くことはありません。そして、習慣なので、身に付くことができれば、考えないでできるようになりますので、自然と集中します。

そして、副効果は、第1の習慣:主体的になるができるようになると、すぐにキレなくなり、人とのコミュニケーションがうまくなり、自分が行動しなくても、相手が喜んで行動してくれるようになります。

そうすることで、自分の時間ができ、さらに新しい良い習慣を身に付けることができます。僕は、この流れを子育てに使っています。子供が勝手に行動してくれるようになれば、親の手がかからないわけです。

結果、お酒も、パチンコも、タバコも、浪費もしなくなったので、お金と時間ができるようになったわけです。

「7つの習慣」を学び、実践して行くと、自分の周りで起こる様々なことが変わって行きます。

第1の習慣から、第3の習慣を実践することで、自分を律することをしてきます。
自分に厳しい状態です。自分との約束を守る状態なので、当たり前だと言えば、当たり前なのです。自分と約束を守れば、だんだん自信が付いて来ます。自信は、自分を信じると書きます。自分との約束を守ることで、自分を信じることができます。自分を裏切っていれば、なかなか自分を信じることができなくなります。

自分を律することができるようになると、すぐにキレなくなります。ちょっとずつ我慢ができるようになります。そうすれば、結果的に他人との関係も良好になって来ます。考え方も変わります。以前は、すぐキレる方がかっこよく感じていましたが、今はすぐキレる人を見ると、かっこ悪く感じます。それくらい見え方が変わって来ます。

プライベートで言えば、第1の習慣から、第3の習慣を実践していると、時間とお金が貯まって来ます。なぜなら、第3の習慣:最優先事項を優先するの中の「緊急でない、重要なこと」を優先しだすと、お金を使わなくなるからです。ここには理由があります。それは「緊急でない、重要なこと」の多くは、自分ひとりで行うことが多いです。ひとりの時間を作ることができなければ、なかなかできない活動です。

例えば、僕の趣味は
片付け・貯金・自転車・映画・ブログを書く・ホームページを作る・投資など、自転車などは初期投資はいりますが、あまりお金がかかりません。(映画は、お金がかかります)

結果、これらをやることで、さらに時間や、お金が貯まってくることになります。
そうなれば、さらに時間とお金を違うことに使うことができるようになるわけです。そして、この頃から少し投資の勉強を始めるために、投資を始めました。僕の投資スタイルは、①長期投資②優待投資なので、一度買ったら置きっぱなしです。ただ買う際は、安くなる時期を待っています。なかなか当たることはないのですが、予想をするのも勉強になります。おかげで、ニュースの見方が変わったと思います。投資に場合、大事なのは「先の先の先」の3手先を読むことになります。なので、もしニュースで「今、株が上がっています!」と報道があった場合は、もう遅いことになります。僕の場合、未来予想をするのが好きなので、投資は自分に合っていると思います。

そして、少しずつ気持ちに余裕が生まれてきたら奇跡が起こりました。

人生、最高の神様からプレゼント(47歳)

片付けに始まり、スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」の勉強をしていると、だんだん気持ちに余裕が生まれます。

47歳で初めての子育て始まったわけです。
正直、まさか自分が子育てをするとは思いませんでした。正直、子供を諦めていたからです。

そもそもの始まりは、僕ら夫婦は、子作りを後回しにしてしまい、お店の経営を優先していました。子供も、いつか?できるだろう!と安易に考えていましたが、なかなか訪れることもありませんでした。

妻は、子供を望んでいましたが、僕自体に余裕がなく、後回しになっていたわけです。僕らの仕事は、お子さんと携わることが多いので、お客様からも心配されていました。

亜希子が38歳(僕が44才)の時に、初めて福岡市内の産婦人科に一緒に行きました。
そしてそこで衝撃な事実を教えてもらえます。

それは
「男女とも、35歳を過ぎると、子供ができにくくなる」という事実です。しかも、子供を作るために、多額のお金がかかること。もうちょっと早く教えてよ!と言った感じです。正直、この話を聞くまで、子供は簡単に授かると思っていました。よくニュースで、若いママが、赤ちゃんの事件を起こしたりしていたので、簡単に子供はできると思っていました。しかしニュースになる事件は、若いからできることと知るわけです。

お店の経営を優先して、それから子育てと思っていましたが、結局、子供を作るためにお金がかかるのであれば、お店の経営を安定させても、結果 お金がかかることになります。正直、何をしているのか?わかりません。お金を貯めても、失うわけです。

お金をかけても、子供ができる保証はなく、年齢が上がれば上がるほど、妊娠する確率は下がるわけです。ただ僕らはすごく運がよかったのは、不妊治療を始めて3年目で、長男に恵まれました。ただこの間、何度も病院に行っていた亜希子。そのたびに、妊娠していない辛い現実を突きつけられ、家では自ら注射を打っている姿は、そばで見ていて辛いものがありました。

早く妊娠の知識があれば、亜希子に辛いことをさせずに済んだこと。またお金をかけなくても済んだこと。ただこれも、運がよかったしか言いようがなく、最後のラストチャンスで恵まれたわけです。そして病院に行ったことで、多くの方が不妊で悩んである事実も知りました。

この時思ったことは
「人間には、タイムリミットある。それを知って人生を歩まなければ、大きな間違いを起こすこと」。

スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」でいうところの第2の習慣:終わりを思い描くことから始めるを知っておかなければ、目先のことに追われてしまうことを知るわけです。

人生のタイムリミットとは
①結婚のタイミング
②妊娠のタイミング
③子育てのタイミング
④親の介護のタイミング
⑤自分の定年後の姿

これらを、少し想像することがとても大事だと思います。

子どもが生まれたことで、未来を予測する大切さを教わったわけです。

人生初の子育てが始める(47歳)

結婚15年目での初めての子育て。
正直、子育てがこのように面白いものなのか?と思うくらい、人生が楽しくなりました。子どもがいなかった頃の生活と比べても、全く別物で、子供のいる生活がこんなに楽しいとは思ってもいませんでした。

面白いのが、長男が僕そっくりだったこと。嫁に似て欲しいと思っていたのですが、初めて抱いた時に見た長男の顔は、90%僕似で、しかも僕の母方の顔をしていました。正直、僕に似てかわいそうと思いました。その理由は、僕自体、幼少期から現在まで、女性にモテた経験がなかったからです。

ただ、パパ似だったこともあり、周りから「パパ似ですね!」と言われるたびに、ニヤニヤと嬉しくなり、多分 パパになる自覚も早かったと思います。

次第に、子供中心の生活に変わって行きました。結婚して15年。夫婦二人の時間が長かったこともあり、新たな家族の生活が始まり、とても新鮮な気持ちになります。

長男が2歳の頃、寝顔を見ながらお酒を飲んでいると「このままお酒を飲み続けても大丈夫なのだろうか?この子が10歳を過ぎたら、僕の60歳に近くなる。その際に糖尿病にでもなっていたら、申し訳ない!」と思い、お酒を飲むのをやめる決断をするのです。ちょうどその頃、ある飲み会で、毎回毎回、同じ仲間、同じ会話に飽きてしまい誘われるのが嫌になっていました。それがキッカケで、そろそろお酒をやめようと思うのですが、なかなか止める決断ができないのです。お酒をやめることは、いろんな付き合いも減らすことになります。付き合いを減らすことは本当に良いのか?わかりません。しかし長男と過ごす時間を大事にしようと思うと、止めることができたのです。


そしてその頃から、仕事ばかりではなく、子供たちの未来のために時間を使えるようになりたい!と思うようになります。今、多くの大人が目に前のことに追われてしまい、自分たちの夢や目標を持った大人が少ないこと感じ、これでは、子供たちが未来に希望が持てないのでは?と思ったからです。

そう思うと、面白いもので、願いは叶います。
それは、長男が2歳になる頃に、急な話で「くもん朝倉比良松教室の運営を譲りたい!」と言ってもらえる方に出会ったのです。写真館と、学習塾の2つの運営ができるのか?不安でしたが、子供たちのためになるならばと思って、くもん朝倉比良松教室の運営を引き継ぐことになります。僕が49歳の時でした。

学習塾:くもんの運営が始める(49歳)

子供が生まれ、子供と携わる時間が多くなると、いつしか?子供たちのために時間を使いたい!と思うようになりました。実は、僕は幼少期から勉強が楽しい!と思ったことがありません。いつも「勉強しなさい!」「宿題をしなさい!」と言われていました。勉強はしていましたが、成績が良かったわけでもないのです。

しかし、35歳の時に人生の師匠に出会った際に、勉強の楽しさを教わります。
できないができる喜びを知ってしまうと、さらに勉強したくなるわけです。
大事なことは、行動すること。
すなわち、行動して、失敗をすることが、勉強が好きになるキッカケになることを知ります。
初めてやれば、誰でも失敗をします。失敗をして、当たり前なのです。

しかし、世間はそう見てなくて
①失敗は悪いこと(恥ずかしいこと)
②失敗をしないように大人がサポートする

そのため、失敗を嫌います。失敗したくないから、できるようになって行動しようとします。
そのため、できるまで行動しないので、結果 行動しないようになります。

そうなると、勉強の楽しさを知る機会がなく、勉強してから行動するので、勉強の目的がわからず、勉強が楽しくない!になっている気がしていました。

僕は、人生の師匠に出会い、様々な失敗をしてきました。正直、失敗の数が多くて、成功はほんのちょっとです。失敗して、悔しくて、勉強して、失敗して悔しくて、勉強してを繰り返していたら、だんだん失敗する確率が下がり、次第に自信が持てる自分に気付いたのです。

もし、このことを子供の頃から知っていたら、勉強が楽しくなっただろうなぁ~と思うのです。

次第に、この想いが強くなり、いつしか子供たちに伝えたくなったのです。
行動して、失敗して、学ぶことが大事(初めて行うことは、できなくて当たり前。なぜできなかったか?を考え、次に何を改善するか?が大事)

たまたま、僕の仕事は子供たちを撮影する機会が多いのですが、7歳の女の子の七五三の撮影をする際に、驚く事実を知ります。それは、多くの7歳の子が、勉強が嫌いなことです。七五三の撮影は、秋なので、7歳の女の子の場合、春に入学して、秋までの半年で、勉強が嫌いになっている子が多いことにショックを覚えました。

この現象を何とか?したい!と思っていると、再度 神様から課題がやってきたのです。
それは、学習塾:くもんの運営を頼まれたのです。しかも、撮影をしている時に言われたのです。

キッカケは、現在運営しているくもん朝倉比良松教室を運営していた前の先生が、教室を閉めることになり、閉める前に、うちに相談されたわけです。元々、その先生は、写真館のお客様で、毎年 家族写真を撮らせて頂いており、また亜希子と高校の同級生ということもありました。

また亜希子は、結婚する前まで、久留米の中学校の英語の先生だったことも知ってあったので、打診があったわけです。しかし、急に打診されると「いつか子供たちを教えたい!」という気持ちがあっても、迷いが出ます。写真館と学習塾の運営が両方できるのだろうか?もしかしたら、二頭追うもの一頭も得ずということにならないか?不安になりました。

また写真館が、学習塾の運営をする畑違いなことに、周りはどう感じるのだろう?考えれば、考えるだけ不安になります。しかしこれをチャンスと捉えるとしたら!と思い、学習塾の運営を始めるわけです。長男も小さいのにかかわらず、写真館と、学習塾の運営ができた理由は、あの知識を持っていたからでした。

2足の草鞋を履けた理由(49歳)

写真館と、学習塾の全く違うタイプの仕事を始めたわけです。
パッと見、全く違う業界に感じますが、共通点がいくつか?あります。

それは
①お子さんが対象
②未来のための仕事
③喜び、感動
④褒める

これらの要素があると思っています。

しかし、2つの全く違う仕事を始めると、問題になるのは
①時間
②人
③スペース
④備品

これらの問題が出てくるわけです。

普通考えれば、2つのことを両方やれば、倍になるわけです。しかし倍にしなかったわけです。多少、スタッフを増やすことになりますが、①時間も②人も③スタッフも④備品を大きく増やすことがなく運営ができた理由は。片付けの知識を持っていたからです。

きっと片付けの知識が無ければ、簡単に①時間も②人も③スペース④備品をたくさん新たに用意したと思います。片付けの知識があったので、
①無いでやってみよう!
②何か代用できるものは、ないだろうか?

そういうことを考えながら、運営していきました。そのため、大きな変化は起こりませんでした。

実際、運営しだして思ったことは、
①写真館の仕事は、土日祝祭日が忙しい!
②くもんの仕事は、平日の週2日の夕方が忙しい!

ということで、写真館の仕事にも影響がないことがわかったわけです。

ただ、スタッフが成長してくれていたことが、一番大きいと思います。スタッフさんが、長期で働いてくれているので、仕事の質が上がり、任せられるようになります。長く働いてもらうためには、労働環境がとても大事で、①残業なし②年130日の休日を作ることができた理由も、作業効率を上げるために知った片付けであったわけです。

いろんな所に、片付けの知識は応用されることを知ります。片付けの基本は、入れたら、出す。この循環がとても大事になります。ちょうど10年前に、5年間でスタッフが20名退社した経験をしていました。その経験の中で、救ってくれたのが片付けの知識でした。

今回、新たな事業を立ち上げ、運営ができたのも片付けの力だったわけです、もし片付けの知識を知らなくて、写真館と、学習塾の運営をしていたら、きっと「二頭追うモノ、一頭も得ず」になっていたと思います。

人生は思い描いた通りになる

現在、写真館と学習塾:くもんを運営しています。
「子供たちに勉強の楽しさを伝えることができる学習塾を作りたい!」と思っていたら、本当の叶ったわけです。しかも、写真館と全く違う業界なのに、両立できていることを不思議に思います。

ただここまで来るのには、いろんなことがありました。
①31歳の時の売上の70%を占めていた結婚式業からの撤退
②その結婚式場から撒かれていた嫌がらせのチラシ
③人生の師匠に出会い、仕事の意味を教わる
④売上が急に上がる
⑤スタッフが5年間で20名退社する

これらの多くが30代の時でした。
そして40代、様々な課題を解決するために、いろんな勉強をしました。

40代で学んだこと
①片付け
②illustratorの知識
③ワードとExcelの知識
④パワーポイントの知識
⑤経営者としての知識
⑥財務の知識
⑦投資の知識
⑧ホームページの知識

50代になって思うことは、これらの知識を学んでいて本当に良かったと思うことです。多分、学んでいなければ、もしかしたら潰れていただろうし、自信もない人のままだったと思います。

試練があって、乗り越えたことで
①勉強が楽しく好きになった
②将来の不安が減った

③自信が持てるようになった
そして、一番大きいと感じることは
④時間が作れるようになったこと

この時間を、現在は子供たちの未来のために半分使おうと考えています。
どんな時間の使い方をしたいのか?
それは、子供たちが未来に希望が持てるようにです。

近い将来、AIがいろんな仕事に入ってくると思います。
僕は、このことに危機感があるのではなく、歓迎しています。
なぜなら、仕事(作業)をすることが減り、自分の好きなことに時間が使えるからです。

しかし、AIを怖がる方も多いと思います。
なぜならば
①自分の仕事をAIに取られるかもしれない
②将来、どうなるのか?わからないから

AIが発達で、意見が大きく分かれると思います。

では、子供たちにどうなってもらいたいのか?
自分の好きなことを追求してもらいのです!

そのためには、深く探求する力がいると思います。

僕が思うAIに仕事を取られてしまう内容の共通点は、広く浅い知識の仕事だと思います。誰でもできる仕事が取って変わられます。みんなが出来なくても、計算だけを行う税理士さんの仕事も無くなると思います。
そうならないためには、
①深く探求して勉強をする
②レベルを上げて勉強する

そして
③相手の気持ちに寄り添うことができる
このような仕事が残るのではないか?と思っています。

最近、僕の人生の師匠が「アーティスト(芸術家)になりなさい!」と言っています。
この意味が、すごくわかります。

自分達らしいミッションが見つかる

片付けの知識によって、時間とお金に余裕が生まれてきました。
こんなことを書くと、さぞ儲かっているのか?と思われそうですが、逆です。片付けを意識して生活しているとあることに気付きます。

それは便利なモノを買えば買うほど、
①お金を使い
②モノが増える

ということに気付くわけです。

便利なモノが欲しくなる理由は、忙しくなるから。
忙しくなればなるほど、片付けがしにくくなり、お金を失うことに気付いたのです。

現在は、なるべく
①忙しくしない
②お金を使わない

このように暮らしているの、ちょっとずつお金が貯まるようになります。

その基準にしているのは、スティーブン・R・コヴィー氏の「7つの習慣」の第3の習慣:最優先事項を優先するの中の時間軸のマトリックスの「緊急でない、重要なこと」を優先するです。いわゆる後回しにしやすいことを、先にやる!です。

「緊急でない、重要なこと」を優先するとあることに気付きます。
①一人で行うことが多い
②お金がかからない
③他人からはマイペース(自分勝手)な行動に見られる

これらのことが起きます。

「緊急でない、重要なこと」を優先すればするほど、どんどん「緊急で、重要なこと」「緊急で、重要でないこと」が減って来ます。そうすれば、ますます時間ができるようになります。

そのできた時間を、
①子供たちの未来のために使う
②深く勉強する

これらを意識して生活するように心掛けています。

前に書きました僕の人生の師匠が「アーティスト(芸術家)になりなさい!」という意味は、これから広く浅い知識ではAIに仕事を取られてしまう!という警笛ではないか?と思っています。

そうならないためには、アーティスト(芸術家)のように
①自分の感性を磨く
②物事を深く探求する

これらが必要になるからだと思います。

そう考えてみると、自社の役割は何か?と考えるようになり、
当時ある自社の企業理念に違和感を感じるようになります。

以前の企業理念(ミッション)は、
私たちは、子供たちの明るい未来の応援団。
家族の喜び、感動を創造します。

でした。

仕事をメインにしたミッションより、子供たちの笑顔を軸に企業理念(ミッション)を考えると

私たちは、子供たちの明るい未来の応援団。
家族の喜び、感動を創造し、
子供たちが褒められる機会を創ります。


このようにしました。

子供たちの笑顔のために、これからも精進したい!と思っています。
子供たちの笑顔が、未来の希望を与える!
そんなお手伝いができる会社を作りたいと思います。

幼少期から、できないことが多く、いつも失敗することがありました。
そんな時に、35歳で人生の師匠に出会い、行動する大切さを教えてもらいます。そして、失敗しても改善するために勉強します。そうすると、結果 学ぶことが楽しくなります。

そして学べば、学ぶほど、自分の身を助けてくれることを学びます。できれば、もっと早く知っていたらと思ったりします。このことを、長男を始め、若い人たちに伝えることができたらと思います。

僕の座右の銘は「コツコツ」です。

長くなりましたが、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
これからも精進を続けて行きます。

よろしくお願いします。